『暮しの手帖』2021年2-3月号に随筆を寄稿しました

2021年1月25日発売の『暮しの手帖』第5世紀10号(2021年2−3月号)に随筆「小さな外出」を寄稿しました。お読みいただけましたら幸いです。

●『暮しの手帖』 https://www.kurashi-no-techo.co.jp/

岩崎航の連載、寄稿、対談、講演録(現在Webで読めるもの)

【連載】

・『筋ジストロフィーの詩人 岩崎航の航海日誌』(2016年7月〜17年3月/ヨミドクター)それは生きるため 自分の人生を生きるため。自立生活実現への軌跡を綴ったコラム
 https://yomidr.yomiuri.co.jp/column/iwasaki-wataru/

 第1回[それは、生きるため。自分の人生を生きるため]2016.7.20
 緊急寄稿[つなげたい 社会のなかでともに生きる灯火]2016.8.17
 第3回[希望することの力を信じる]2016.8.24
 第4回[安心を力にして 必要なギアチェンジ]2016.9.21
 第5回[一括りにできない「私」と「あなた」で生きる]2016.10.19
 第6回[窓を開く言葉 「介護は工夫」という光源]2016.11.16
 第7回[命綱は離せない。生きるための介護を求めて]2016.12.28
 第8回[理不尽に対して、黙って泣き寝入りはしません]2017.1.25
 第9回[障害者のパソコン活用は、可能性を開く扉]2017.2.22
 第10回[自分の命綱を握るのは、どこまでも自分]2017.3.15

・『続・岩崎航の航海日誌』(2017年5月〜現在休止中/岩崎航note)
 コラムの続編。終日24時間の重度訪問介護支給の決定後を書いていきます。


 第1回[心配なく眠れる。本当に楽になりました]2017.5.5


【寄稿】

・エッセイ『「助けて!」という言葉』(潮 2016年4月号/「ずいひつ 波音」)
 http://iwasakiwataru.com/?eid=1077

・相模原事件「津久井やまゆり園」で亡くなった方たちを追悼する集会(2016年8月6日開催)に寄せたメッセージ  http://iwasakiwataru.com/?eid=1104

・相模原事件から1年に寄せて、今伝えたい言葉。コラム『「しかたない」を乗り越える。誰もが生きることを脅かされないために』(2017年7月/BuzzFeed Japan )
 https://bzfd.it/2l1NErZ


【対談】

・死のうと思った時に湧き上がってきたもの。表現すること。生きる手応え、祈りとは何か。「自殺」を「生き抜く」。末井昭×岩崎航対談(掲載 2015年5月/シノドス)
 http://synodos.jp/welfare/14107


【講演録】

・「みやぎアピール大行動2017」(2017年10月9日開催)当事者アピールでのスピーチ http://iwasakiwataru.com/?eid=1136

・『あなたも 私も 生きるための伴走者になって』熊本県弁護士会主催 自殺対策シンポジウムでのメッセージ(2018年3月/BuzzFeed Japan) https://bzfd.it/2l3HhEN

・「顔を上げて生きる。 暮らしをつくる。 伴走者とともに」(2018年6月2日/MEDプレゼン2018@仙台)でのスピーチ http://iwasakiwataru.com/?eid=1160

(各時系列順)

6月2日「MEDプレゼン2018@仙台」スピーチ

「顔を上げて生きる。 暮らしをつくる。 伴走者とともに」 岩崎航

私は全身の筋肉が正常に作られず体が動かせなくなる難病「筋ジストロフィー」を抱えながら生きています。3歳頃の発症から徐々に病状が進んで、42歳の今は、常に人工呼吸器を使って、食事は胃ろうから栄養を入れて、24時間、生活動作の全てに介助を得ながら暮らしています。岩崎航というペンネームで、詩やエッセイなどの著述を仕事にしています。

一昨年の9月、私は仙台市に終日24時間の訪問介護支給を求めました。
理由は、今まで長年、私の介助を担っていた両親が高齢による衰えと、持病の悪化で介助ができない状況になっていたからです。しかし、当初は認められませんでした。

私にとって、介助を得ることは生きるための前提であり、自分の生き方を自分の意思で決める主体性を守ることでもあります。
他の地域でも、生きるために必要な公的介護を求めても支給認定がされず、命や健康の危険すら感じながら苦しい生活を送っている障害者とその家族がたくさんいます。本来、格差があってはいけないのに、住んでいる市町村によって、制度が充分に機能していない課題があるのです。

細かい経緯は略しますが、その後、担当の相談支援者のはたらきや、主治医の丹念な病状説明、障害者の介護保障を支援する弁護士らの助力も得て、諦めずに交渉を重ねた結果、仙台市の対応が改められて、昨年の3月に24時間介護支給の決定を得ることができました。
1人では諦めていただろう険しい山も、ともに力を合わせてくれる伴走者がいれば、越えられることを知りました。

ほぼ24時間、担当ヘルパーが交代で訪問する体制が整った半年後、昨年10月にひどい風邪をひいたことがありました。その時は、痰を自力で出すことが難しく苦しい思いをしました。痰が詰まって「窒息するのではないか」という不安は、死を感じさせる恐ろしい経験でした。真夜中に、病状報告で在宅医に電話した時「辛くなったらいつでも呼ぶんだよ」と言われたことは、薬のように思えました。

風邪が治まってきたころ、今後、気管切開して痰を取りやすくすることも考えました。
これまで徐々に病状が進み、できることを多く失ってきました。また今回もこの現実を早く受けとめなければならない。気管切開しか自分には生きる道はないと思い込んでいたように思います。

気管切開して呼吸器を使うことには、痰吸引が頻繁になること、声が出なくなる可能性があるなど、QOLに影響をもたらすデメリットもあります。同じ病気で気管切開して22年になる、声を出せなくなった兄から長文のメールで「後で後悔しない決断をして欲しい」と送ってくれた助言にも支えられて、その後、気管切開を避けて生きる道を考え始めました。
そして、私のように唾液や水分が飲み込める喉の力がある場合は、器械の力で痰を出すカフアシストを使ったり、呼吸リハビリによって胸郭をやわらかく保つケアを継続していけば、今まで通り、鼻マスクで呼吸器を使い暮らしていけることを知りました。

今後の自分の一生が左右される決断です。現時点で最良と思われる医療を受けたいと思いました。北海道にある国立八雲病院で、筋ジストロフィー患者の療養の分野で先進的な専門医療と生活支援技術を提供していること、全国からアクティブな暮らしを望む障害者が通院しているという事実も知って、昨年12月、呼吸リハビリのために短期入院をすることにしました。

仙台から北海道までの移動は、新幹線が利用できます。
私は椅子に座れないため、手押しの寝台車を使っています。
駅の事務室に行き、私の寝台車で乗車ができるかを駅員さんと確認を重ねました。充分乗車が可能だということで、切符を発券してもらい安心していたところ、急にJRの支社から乗車はできませんと断られてしまいました。私の寝台車が規定の車いすサイズより大きいというのが理由でしたが、その後、社内での行き違いが分かり、一転、乗車できることになりました。

JR東日本では、規定のサイズに合わない場合でも、『特段の事情』があるときは、個別に検討をして、運行の安全を妨げないかぎり乗車ができるように取り扱う方針があるそうです。一口に「障害者」と言ってもその障害の内容は千差万別です。標準的な車いすが使えない体の人もいます。
私は医療目的というのが『特段の事情』に該当しましたが、これは障害を持つ人にとって大きな障壁ではないでしょうか。長距離移動の手段として、新幹線は生活になじんだ交通機関です。たとえば、旅行で遊びに行く、家族や友だちに会いに行く、仕事で出張するなど、健常者であれば当たり前のように使える手段に、特定の障害者は、利用目的を問われる形で、アクセスを制限されてしまうからです。

生活者として当たり前のことをして生きたいだけなのに、その前提となる介助を得ることにも、そこから日常において行動的なことをしようとするにも壁が立ちふさがります。法律家の力を借りたり、政治家に陳情をしてまで、何度も強い声を上げないとその壁を越えられないというのは、どういうことなのでしょうか。

障害や難病を持って生きる人やその家族は、自分の目の前の一日一日を生きるだけでも精一杯であることが多いです。ただでさえ余裕がない中で、行政や社会に対して折れずに強く声を出していくこと、何度も交渉をしていくのは困難です。声を出したくても出せないでいる人もたくさんいると思います。
たまたまの偶然で声を上げやすい環境にいた人、熱意のある支援者に出会えた人しか、当たり前の生活に近づけないのだとしたら悲しいことです。

生きていれば、誰もがいつかは必ず、病気になります。心身が不自由になります。治らない病気や重い障害を持っていても、命や暮らしが脅かされず生きられる世の中は、誰にもいつかは必ず訪れる自分が弱った状況に置かれたとき、人を生きやすくすると思います。

障害者が何か福祉の支援を求めるときには、どうしても社会に負担や迷惑をかけて申し訳ないという負い目、ためらいが生まれやすいものです。しかし、生きるために、人間らしく生活するために普通のことを望んでいるのです。必要な介護やバリアの解消は、顔を上げて堂々と求めていいのです。
それはただ自分の身を生かすだけには留まりません。家族、その人に関わるすべての人、これから支援を受ける後に続く人たちをも生きやすくすることにも繋がっていきます。それは、人間としての誇りを支える力、生きるために手助けを求める力の拠り所になるのではないでしょうか。

私も、あなたも、人の助けを借りたり、人を手助けしたりして、自分の命と人生を生きています。誰もが、誰かの暮らしを支える伴走者になれる。そう思えば、私も、あなたにも、社会を生きやすくするために、できることがあるはずです。

ご静聴ありがとうございました。

●2018.6.2「MEDプレゼン2018@仙台」でのスピーチ。※体調不良のためビデオ動画での登壇になりました。 http://medpresen.com/medpresen2018/2018sendai/

(3月5日)BuzzFeed Japan に寄稿しました

2018年3月3日に行われた熊本県弁護士会主催の自殺対策シンポジウム「子どもの自殺〜子どもの健やかな未来のために大人達にできること〜」に寄せたビデオメッセージの内容をBuzzFeed Japan に寄稿しました。[あなたも 私も 生きるための伴走者になって]。お読みください。

●BuzzFeed Japan
 あなたも 私も 生きるための伴走者になって(岩崎航)
 https://www.buzzfeed.com/jp/wataruiwasaki/ikirutamenobansousha?utm_term=.nkj1D88OA#.abX2zVVJw

「みやぎアピール大行動2017」当事者アピール 岩崎稔

 「みやぎアピール大行動2017」に、仙台に暮らす障害者の一人として、当事者アピールをさせていただきます。岩崎稔と申します。


 私は全身の筋肉が正常に作られず体が動かせなくなる難病「筋ジストロフィー」を抱えながら生きています。常に人工呼吸器を使って、食事は胃瘻から栄養を入れて、24時間、生活動作の全てに介助を得ながら自宅で暮らしています。岩崎航というペンネームで詩やエッセイなどの著述を仕事にしています。


 昨年の9月、私は地域での自立した生活を実現するために、仙台市の青葉区に24時間・重度訪問介護の支給を求める申請をしました。しかし、当初は認められませんでした。


 ほぼ全身が動かず常に人工呼吸器を使っていて、同居両親は70代半ば。高齢による衰えと、持病の悪化で痛みが出ていて、介助ができない状況のもと、常に動ける介助者が側にいなければ、命の危険すらありました。 それにも関わらず、私のように気管切開ではなく鼻マスク式の人工呼吸器を使い、痰の吸引が多くない人に24時間介護支給をした前例はないため、対象外だというのです。


 区からは、他にも「市が独自に解釈する重度訪問介護における“見守り”や、“家電製品の操作”介助の考え方と合わない」など、さまざまに「できない理由」を示されましたが、いずれも共通するのは、目の前にいる障害者の生活実態の理解が不十分であることを感じさせました。


 けっして、言葉として言われはしませんし、悪意は全くないのだとしても、結果的には「あなたは、生きていなくてもよい」と、障害者が介助を得ながら生活するのを拒んでいるのと同じです。


 昨年の7月に起こった相模原での障害者殺傷事件は、障害者が社会の中で生きていくことそのものを否定される恐ろしい事件でした。


 私にとってこの事件は、難病と付き合いながら、ヘルパー介助を得て自分の暮らしを作ろうと動き出していたなか、「そこまでして生きていられては、社会の迷惑」だと、面と向かって、冷酷な悪意を突きつけられるできごとで、暗澹たる気持ちに覆われました。


 犯行者は、直接的な暴力によって障害者の命を奪いましたが、足元の現実として世の中には、今回の私のケースにも現れているように、社会の構造的な「見えない暴力」で、重い障害を持つ者の命や生活がおびやかされている状況が、いたるところに生じています。


 障害者が何か福祉の支援を求めるときには、どうしても社会に負担や迷惑をかけて申し訳ないという負い目、ためらいが生まれやすいものです。そんななかで、「生きて、生活するために必要な」当然に求められた介護支給の申請を拒む、ということの意味を行政の現場の皆さんには、どうかご自分の身に置き換えて考えてほしいと思います。


 介護保障を支援する弁護士に教わった、障害者が介護支給量を行政に求め交渉するに際しての、基本的な考え方があります。


 それは「障害者の介護支給にあたって、市町村が裁量で設けている支給決定の基準は、あくまで目安にしかすぎず、目の前に介護を必要とする障害者がいて申請を受けたのなら、本人、家族、支援者らから細かく聴き取りをする調査を行って、もし基準では間に合わないのであれば、非定型の審査会にかけて、個別具体的に支給量が決まる」という本来の筋道を、見失わないということです。


 この考え方は、単に介護保障の法律家からの正確な見解というだけに留まらない力があると感じました。


・「市町村が目安として設けた線引きに関わらず、あなたは介護の必要な現実をありのまましっかりと説明していけばいいんだよ」


・「生きるために、人間らしく生活するために、必要な介護は、顔を上げて堂々と求めていいんだよ」


と、人間としての誇りを支える力、生きるために手助けを求める力をもたらしてくれたと感じています。


 その後、当事者と家族の側に寄り添った相談支援員のはたらき、主治医による丹念な病状説明や意見、障害者の介護保障に取り組む弁護士らの支援もあり、あきらめずに交渉を重ねた結果、仙台市の理解を得られ、今年の3月に24時間介護支給の決定を得ることができました。


 全国では重度障害者が「障害者総合支援法」による公的介護保障制度によって、医療的なケアの有無に関わらず、必要なだけのヘルパー介助時間数を得て、自ら望む生活を実現している事例があります。制度としてできないのではなく、自分の町では、まだ「できないことにしている」市町村が多いだけなのです。


 今回のことは、私だけの問題ではないと感じています。


 身近にも、脳性まひで全身性障害のある友人が、知り合いの知的障害のある青年のお母さんが、介護のことで困っているのを知っています。


 生きるために必要な介護を求めることでさえも、市町村の現状把握の不足、無理解から支給認定がされず、命や健康の危険すら感じながら苦しい生活を余儀なくされている障害者が全国にたくさんいます。いつ自分が倒れてもおかしくない限界を超えた介護を強いられている家族もたくさんいます。


 生きていれば、誰もがいつかは必ず、病気になります。心身が不自由になります。


 治らない病気や重い障害を持っていても、命や暮らしが脅かされず生きられる世の中は、誰にもいつかは必ず訪れる自分が弱った状況に置かれたとき、人を生きやすくすると思います。


 どこに住んでいても、どんな病気や障害があっても、全身不自由な体になった人でも、うつむかないで顔を上げて生きられるように。必要な介護支給を得られるようにしていきたいと切に願います。


 相模原事件の犯行者は、「障害者は不幸しか作れない、社会のためにいなくなったほうがよい」という考えを持ちました。また世間には、その考えに近い考えを持つ人も少なからずいることが分かりました。


 このような考えかたに対抗し、生きていてもしかたないという貧しい見方を乗り越えていくには、障害者の一人一人が、いたるところ、社会の真っただ中で「ここにぼくも、わたしも生きている」と、生活している姿を示し続けるほかありません。


 多くの人と出会い、つながり、自分の命と人生をあきらめずに生きることは、障害を持って生きる私たちの役割ではないでしょうか。人に助けてもらうばかりで肩身が狭いと負い目に思うことはありません。自分の住むこの町で、堂々と顔を上げて生きていきましょう。


●参考・一部引用
*ヨミドクター「岩崎航の航海日誌」https://yomidr.yomiuri.co.jp/archives/iwasaki-wataru/
*note「続・岩崎航の航海日誌」https://note.mu/iwasakiwataru/n/n02c6f849cabe
*BuzzFeed Japan寄稿「「しかたない」を乗り越える。誰もが生きることを脅かされないために」
https://www.buzzfeed.com/jp/wataruiwasaki/sikatanaiwonorikoeru?utm_term=.oiD2oLLxW#.nyBzY88ap


※「みやぎアピール大行動2017」開催の当日は、急の体調不良により岩崎稔が欠席したため、上記のアピールを関係者が代読しました。

相模原事件から1年となる今日(7月26日)BuzzFeed Japan に寄稿しました

相模原事件から1年となる今日(7月26日)BuzzFeed Japan に寄稿しました。「障害者は不幸しか作れない」このような考えかたがあるのなら、私は彼に名指しされた障害者の一人として、社会の真っただ中で生きて対抗しようと思います。[「しかたない」を乗り越える。誰もが生きることを脅かされないために]。お読みください。

●BuzzFeed Japan
「しかたない」を乗り越える。誰もが生きることを脅かされないために(岩崎航)
 https://www.buzzfeed.com/jp/wataruiwasaki/sikatanaiwonorikoeru?utm_term=.pok7xmmXy#.rhZeA22oE

「津久井やまゆり園」で亡くなった方たちを追悼する集会(2016年8月6日開催)に、メッセージを寄せました

2016年8月6日。熊谷晋一郎さんら多数の障害者、医療介護福祉の支援者ならびに研究者らが呼びかけ人となって 「津久井やまゆり園」で亡くなった方たちを追悼する集会 が、東京大学先端科学技術研究センター3号館南棟1階 ENEOS ホールにて行われました。日本全国から多くの方々が集まり、国内外からたくさんのメッセージが寄せられました。

「津久井やまゆり園」で亡くなった方たちを追悼する集会


2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所していた19名の方々がその尊い命を失うという、痛ましい事件が起きました。犠牲となった19名の方々に心より哀悼の意を表するとともに、被害にあわれた方々の順調な回復をお祈りするため、追悼集会を行いました。


時計の針を巻き戻すことなく、すべての人のいのちと尊厳が守られる未来を目指して
メッセージをわかちあおう


追悼集会にメッセージを寄せました。


この追悼集会に連帯の意志を表明します。亡くなられた19人ひとりひとりの命に思いを寄せ、ご冥福を祈ります。被害に遭われた方々の一日も早いご回復を祈ります。「障害者は不幸しか作れない、社会のためにいなくなったほうがよい」このような考えかたが今回の事件を生みました。一人一人の障害者が社会の真っ只中、人々との関わりの海に漕ぎ出して、自分の命を全うし、自分の人生を諦めずに生きていく。その姿を自然に示していくことが、この事件を生んだ闇を吹き払う力になると思います。私も筋ジストロフィーによる重度障害をもつ当事者として、社会で生きる一人の人間として、できることをしていきます。
(詩人・筋ジストロフィー当事者 岩崎航)

福岡の書店『Rethink Books』の日替わり展示、6月19日に岩崎航からの言葉が掲示されました。

福岡・天神の書店『Rethink Books』での店内日替わり展示「今日の宿題」2016年6月19日に、岩崎航からの言葉が掲示されました。ご来店の皆さまに、立ち止まって思いを巡らせていただけましたら幸いです。

『Rethink Books』は東京・下北沢の『本屋B&B』が手がける期間限定の新刊書店です。

・日替わり展示「今日の宿題」
 店内カウンター横の壁面に「Rethink Booksからの宿題」をテーマに作家やミュージシャン、デザイナー、建築家、写真家など様々なジャンルの方からコメントをいただき、毎日日替わりで「宿題」を展示しています。(サイト紹介文より)

◇「今日の宿題」2016年6月19日 岩崎航
 ここは、お酒も飲める本屋さんです。私は、管から栄養を摂り、機械に呼吸を助けてもらう暮らしです。お酒は楽しめないだろうとイメージする人は多いですが、実際は、体に支障なければ飲んでも構わないんです。私とお酒のように、出来ないとまわりに思い込まれていることがあなたにもあるかもしれません。それはなんでしょうか?(6.20 追記)

●Rethink Books http://rethinkbooks.jp/about
(場所:福岡市中央区天神1-10-24 営業:11:00〜22:00 TEL:092-406-7787)

●本屋B&B http://bookandbeer.com/about/
(場所:東京都世田谷区北沢2-12-4 2F 営業:12:00〜24:00 TEL:03-6450-8272)

(2016.6.20 更新)

【随筆】「助けて!」という言葉 (岩崎航)

 「助けて!」という言葉  
岩崎航

 私は三歳で進行性筋ジストロフィーを発症し、人工呼吸器と胃ろうからの経管栄養で生活すべてに介助を受けながら生きています。これまでには将来を悲観して自ら命を絶とうとしたり、もう夢も希望もないと家族にもらすこともありました。

 どうしようもなく打ちのめされると、前向きにものを考える手前のところでバッタリ倒れて身動きできない。ただうずくまって嵐の過ぎ去るのを待つしかない。そんな日々を生きたことは、私にとって詩を書く糧になりました。病とともに三七年を生きていますが、その困難さを“乗り越えた”ことはありません。私の中では、乗り越えるというのは完了ではなくて、終わりのない旅です。一つの峠を歩いて、また一つの峠を歩き続けて生きていくことそのものではないかと感じています。

 最近、体の不自由さが原因で耐えがたいできごとがあって、精神の均衡を保てなくなった時がありました。辛くて苦しくて涙が止まらないのです。このままこの気持ちを押し殺したら、自分の何かが壊れると思いました。周りから「どうしたの?」と声をかけられなくても、自分の中から勇気を取りだして、誰かに助けを呼ばなくてはならない局面が人生には度々あるような気がします。

 「助けて!」

 周囲への一切の慮りをかなぐり捨て、親しい人に初めてSOSのメールを送りました。すぐに電話がかかってきました。張り裂けそうなそのままの気持ちを話しながら、電話の先で一心に話を聴いて無条件に苦しみの側にいようとする人の思いやりを感じました。

 話したからといって、苦しみを生む状況がすぐに変わりはしないですが、自分で自分を支えるために着けていた鎧を外すだけで、重苦しかった心が楽になりました。たとえ立場や境遇が異なり、距離が離れていても、人は他者の苦しみの傍らに来て座り、支えになることができるのだと思います。私も誰かにとってのそんな存在になれたらと思います。

 もし「辛い」と言ったら受けとめてくれるかもしれない人の顔が何人も浮かびます。それでも、忙しくて迷惑じゃないかな……。分かってもらえないんじゃないかな……。そんな思いに心を縛られていると、のどもとまで出かかった言葉を飲み込んでしまい声を出せなくなっていました。なにかというと必要以上に自分の気持ちを折りたたみ、辛くても平気な顔をしてその場をやり過ごすことが多かったですが、これからは変えていくつもりです。自分の心を守り、生きるためのSOSを発することに一切の遠慮はいらない。苦しいときは苦しいと伝えて、人に助けを求めていいんだ。そう思えたことは私にとって、静かな革命でした。

 どんな人にも、これからも生きている限り何度も越えていくだろう夜の峠があると思います。私は「助けて!」という言葉をいつでもためらいなく使う勇気を持って、この峠を力強く歩み通そうと思います。

(月刊『潮』2016年4月号「ずいひつ 波音」掲載)

『潮』2016年4月号に、エッセイを寄稿しました

3月5日発売の月刊誌『潮』2016年4月号のエッセイ欄「ずいひつ 波音」に寄稿しました。タイトルは《「助けて!」という言葉 》です。今回の執筆は、私のなかでまた一つ殻を破れたような気がします。お読みいただけましたら幸いです。今、苦しみのなかにいる人に、言葉を届けることができればと思います。

●月刊誌『潮』 http://www.usio.co.jp/html/usio/
1